温泉のメッカといっても過言でない東北、奥羽山脈地下マグマを堪能しようと二、三日の旅に出る。
今回は、いつものように回遊式ではなく秋の宮温泉郷新五郎湯を基地に連泊して宮城方面、岩手方面、
秋田小安方面へと出向いて戻るという、効率は悪いが旅の疲労をできるだけ抑える算段をした。
ルート的には、
一日目〜新庄から赤湯経由で東鳴子、温湯を回って、秋の宮で泊
二日目〜秋の宮から泥湯、栗駒山、大湯、小安、河原毛を回って秋の宮で泊
三日目〜秋の宮から周辺回遊し、新庄へ戻る
といったところだ。
目的としては、
@栗駒山周辺の温泉巡り
Aコケモモを見つける
Bイワナを釣りあげる
という課題を設定している。
*** 一日目 ***
前回東鳴子に行った際、時間の都合でみるだけにおわった馬場共同湯
を今回は一番目に据え置いた。
高友旅館の主人をしてこの辺じゃ一番濃い湯じゃないかといわしめた曰くの湯をどうしても堪能してみた
かった。共同湯といいながら、個人が自宅敷地内にボーリングしたもので、近所に有料で解放している、
いわば銭湯といったほうが感じをつかめる。
今回訪れた時には、ここの孫息子が先客で入浴中だったので、一緒になって昔話など聞かせてもらった。
ここから次の目的地温湯温泉・佐藤旅館へいくには二つのルートがあるが、
遠回りでも道のよい花山回りでいくことにした。
ナビのデータが古いため道が途中でなくなり、あとは標識に従っての道なり走行となった。

学生時代に仲間と泊まりに来て以来、なんどか傍を通過したことはあったが足を止めるにいたっていなかった。
表通り(R398)から少し入り込んだ一の迫川沿いの静かなところで、宿舎が昔の小学校のような造りに郷愁を覚える人も
多いようだ。最近は村営の施設ができて、このへんも活況となってきた。
湯浜峠を越えたあたりから、道を間違えているのにきずき、引き返す。林道(R248)に入るためナビを使用してなかったが、
地図も確認しないままの走行だったので、チョイと間違えてしまったようだ。
林道を抜け108号線にでたところで宿に電話を入れた。なんか不安があった。不安的中、予約が記載されていなかった。
まったく、やれやれであった。
途中、秋の宮温泉郷入口にあった仙秋に立寄る。
閑散としているのかフロントの電気をつけずに女将さんが伝票整理をやっていた。ここはドライブインが併設している。
駐車場や宿の玄関、露天風呂などにも白色のオブジェがそこかしこと置かれていた。
今年は、大雨が続いたので魚が流されサッパリ釣れないそうだ。毎年来る釣師たちもそのへんの情報をインターネットで入手
しているらしくキャンセルが多いと嘆いていた。
18時、今回の宿「新五郎湯」に到着。
江戸時代・忠臣蔵のあたりから十五代にわたる由緒ある宿だ。宿の食事は19時ということで、ビールを飲んでちょっと横になった。
誰か肩をゆすっている。びっくりして目を見開くと
しらない女性がスグ目の前にかかみこんでこちらを見ているではないか。だっ、だれ?
食事ができましたよ
あっ、そうか、いま旅行中で、ここに泊まるんだ
ふと気が付いてなにやら照れくさくなって、ああぁ、どうも、ってうなずいた。
この日は、夕食が済んでからも回復せず、早い時間に寝床へもぐりこんだ。
*** ニ日目 ***
朝食は8時からなのでゆっくり起きた。でもまだ時間があるので一風呂浴びた。
さて、今日は栗駒山の花畑いって、そのあと小安温泉めぐりだ。
秋の宮小安温泉線(R310)が通れることは前日宿の主人に確認がとれていた。以前秋の宮をニ度訪れたことがあったが
いずれのときも通行不能であった。がけ崩れといっていたが、道路修復工事中であったのかもしれない。ここを通れば
雄勝町を迂回しないで直接R51経由で小安街道(R398)にでれる。距離的にはかなり短縮だ。
かなり屈曲した山越えの道を我慢づよくすすむと、河原毛地獄山の荒れた斜面を眺望できる立入禁止札のついた展望台
があった。
泥湯の奥山旅館は二度目だが、足湯(なっ、なんと有料)や、湯治棟とは別の露天風呂施設
ができていた。
木地山高原に苔沼なる看板があった。看板にはツルコケモモがあるやに書いてあったのでチョット立寄る。実際には沼地には
近づけないのでどんな植物が実際どうなっているかはわからなかった。
栗駒山お花畑へのアプローチは栗駒高原荘脇の登山道を利用した。ドバドバと流れ落ちる源泉はそのまま排水されていく。
かたや入浴剤をいれてなんとか体面をごまかしている。世の中うまくいかないものである。
10分も登った辺りから平坦になり木道が伸びる。両サイドは湿原となり数種類の高山性植物を観察できる。
目的の一つであるコケモモは、ガンコウランと一緒に発生していると確信しているので、とにかくガンコウランが着生している
むき出しの大岩の周辺を丹念に観察した結果、ありました、コケモモが。私の信念は証明されたのだ。ただ、ジャムを作れるほど
には実がなっていないので、撮影のみに止めた。
(写真をクリックすると拡大します)
1 リンドウ 2 ナナカマド 3
4 シラタマノキ 5 シロバナトウウチソウ 6 ホソバアキノノゲシ
orタカネトウウチソウ orヤマニガナ
7 コケモモ 8 キンミズヒキ 9 モウセンゴケ
10 ヌマハリイ 11 コウゾリナ 12
13 イワカガミ(花の後) 14 ウメバチソウ 15 シナノオトギリソウ
orイワオトギリ
コケモモ探しでおもいの他時間をとったので栗駒高原荘は一度宿泊しているのでパス、
栗駒山荘で汗を流した。ここの露天風呂からの眺めは一金に値する。
できれば宿泊してビール片手に朝焼けや夕焼けを拝しながら入浴したいものだ。
岩手県からまた秋田に戻って小安温泉郷最初の出会いとなる民宿「よし川」へ立寄る。
民宿となっているがなかなかの店構えで割烹料理温泉宿といった風情だ。お忍びの隠れ宿なんてのもいいかもしれない。
次の訪問先は、二度目となる大湯「阿部旅館」。
よし川のすぐ近くなので泉質はそうかわらないであろう。ここは川湯が名物で、せき止められた川底から熱い湯が沸いてくるので
火傷をしないよう気をつけなければいけない。(実際に火傷をした話はきいたことがない)川底以外からもそこらじゅうの岩肌から
蒸気が噴出しているので、こちらは充分気を付け近づかないようにしたい。
次はというと、とことん山キャンプ場にある露天風呂を攻めたい。
夏休みも終わりとなったのかキャンプ場には数人の人影しか確認とれず。そんなさみしい風景にマッチした静かな露天風呂
施設であった。小安峡の大噴湯は前回入ったので今回はパス。
さて、本日の最終目的地の河原毛大湯滝へとむかう。
ここは今回で4回目である。にもかかわらずあいかわらず足元が暗い。分岐点をだいぶ通り過ぎてから不安になり引き換えした。
ナビが使えないので道端の人に聞くしかない。
現地到着17時頃。少し薄暗くなりだした。なんせ山間の奥まった日差しの悪いとこだから・・・
駐車場はガラガラでほとんど泊り客(?)以外は帰ったみたいだった。ここでガンや手術跡の治療を信じて通っている泊込み者が
少し上の空き地に車とテントで生活している。滝壺まで降りないで駐車場脇の沢筋に湯溜まりを造作して何人か入浴している。
わたしは滝壺まで降りていって滝左側上部の中段滝壺でしばし修行僧をやって遊んだ。
さて、宿舎に帰えるためナビをセットすると、来た時と同じ秋の宮小安温泉線(R310)が設定された。
が、ここで考えたのだが、この道はかなりの曲線道路で、40km/hがやっとである。雄勝町方面を迂回すれば70〜80km/hで走行可能
である(誓って50km/h以上は出していません)。時間的にはこちらのほうが早いとおもわれ、ナビには悪いが迂回ルートを選択した。
*** 三日目 ***
今日は特に予定を決めていなかった。そこで、大役内川へ釣りに行って、残った時間で初日時間外で行けなかった鷹の湯に寄って
帰京することにした。
林道は舗装されてないので、細心の注意を払って運転した。山道は車を傷つける確率がかなり高い。いままでにも何回もあった。
ホイールを落したり、わき腹を擦ったりバンバーを傷つけたり、・・・。
どんどん道が悪くなって、これ以上は危険すぎるところで車を降り、その辺で毛鉤を落としてみた。いつものスポンジのやつ
ではなく今回はしっかりと巻いてきたやつだ。

ここんとこよく使っていた毛鉤 心機一転がんばって巻いた毛鉤
おかげさまで、こんなのが釣れました
(ここんとこボーズが多くって自身消失がかっていたのが少し解消されたかな。)
秋の宮温泉郷鷹の湯は期待を裏切らないほど洗練された湯治場でした。
湯治場としてのこだわりを残したまま、新しい温泉場に果敢に変貌してきたとおもわれる。主人にもそんな意気込みが
感じられた。私個人はもっと肩の力が抜けた質素な湯場で充分満足できるのだが、温泉を愛する多くの方々の欲求が質的変換をも
要求しているのだろうか。
湯巡り最後は、秋の宮博物館1にあるという50uはあるという大岩をくり貫いてつくった
大岩風呂があるというので訪ねてみた。
ここは脇を役内川が流れていて岸辺を歩く釣り人から浴場が丸見えなのだ。朝、散歩していてなんだろうと何気なく目をやったら
妙齢のご婦人が入浴していたのにビックリした経緯があった。ちなみにそのご婦人がこの博物館の館長であったので
よく詫びておいた
三日間の長きにわたる温泉巡りもあっという間に終了し、一路新庄へ向かう。とくに病気や怪我も無く、またレンタカーの事故
もなく無事帰還とあいなったのがよかった。
《備忘録》
新庄のJRレンタカー借用受付したとき、「里帰りですか」と係員から声をかけられ、なぜか一瞬不可解を憶え
"観光だけどどうして"と問い直してしまった。私の名前をみたら、この辺の人かとおもったらしい。この近くにある
船形町には古くから同姓の方が何人も住んでいて知り合いもいるというのだ。生前、父からは生まれ故郷の話を
聞かされたことがなかったし、自分から聞いたこともなかった。なぜかそんな雰囲気があったことは肌で感じていた。
父が亡くなってから、確か船形生まれという言葉を長兄から聞いた記憶がよみがえってきた・・・。
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